一の家への手紙のおば仙霞定住して

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私の少女期−感性


『異人館の少女』の最終章は、「芦屋川べりで」。震災の翌年に芦屋に戻ってきた橋本京子の追想が語られます。
いま、しずかにふりかえってみると、私の少女期−感性の時代は、二人の親友とのわかれと共に終わったのだといえる。



六麓荘町(六ノ山荘町)に戻った京子はバス停にいた男の子とこんな会話をします。
「じゃぼく、はしって帰って、百円玉、ママにもらってくる」標準語に、ゆるやかな関西の音。芦屋のある地域の人々特有のことば。ママはきっと、私より年下のひとなのだろう。
この特有の話し言葉については、阪田寛夫さん、田中康夫さんはじめ多くの方が同様の印象を述べられています。

手をふって男の子と別れた京子は、バス(小説では市バスとなっていましたが、阪急バスでしょう)にのって阪急芦屋川駅に帰ってきます。


そして母が独り住んでいる岩園町の小さなマンションに向かいます。
「外国なんか、とんでもない!今さら知らない土地で苦労したくないんよ」と、芦屋を離れたがらなかった母だが、ここ数年来のリューマチ痛に、すっかり参っていた。いずれこの町を引き払って、ウィーンの私の住居に一緒にすむことになるだろう。今回の帰省は、その打合せもかねていた。京都で林学を学び、ウィーン工科大学に留学した私は、現在は当地の林産試験場で技師として働いていた。
この部分が、私にどうしても主人公・橋本京子と著者の藁科れいさんを重ねさせます。
藁科れさんは京都大学農学部卒業後、昭和53年に渡墺。ひょっとして、小説にあるように留学されたのでしょうか。
その後、20年間ウィーンに住まれています。そうすると日本に帰ってきたのは1998年、震災の3年後です。
帰国前に故郷の芦屋に戻られれ、取材されて小説を書きあげられたのかもしれません。

彼女の風貌も、小説の中ではこんな風に描かれています。
象さん。これが高校時代のあだなで、今はウィーンで近所の子供たちに、“フラウ・ギガンティン(巨人おばさん)”と私は呼ばれている。大柄で、どっしりした体躯で、仕事以外のことでも頼ってくれる人が多く、現在は、市の東欧避難民援助にも参加している、きびきびした日本女性−それが私だ。
でも藁科れいさん本人は全く逆の風貌なのかもしれません。

最後の場面は月若橋です。


月若橋は阪急芦屋川駅バス停のすぐ近く。
月若橋までくると、バッグを足許に置き、橋の欄干にもたれかかった。夏のひざしが、淡く翳りはじめた。らんかんの石のくぼみに、ちいさな溜まりができている。昨夜、雨がふったらしい。ひじをついたまま、私は、水かさのました芦屋川の流れをながめた。
ふたたび薄日がさし、ひざしが眩しくなり、やわらかな風がふき、川ぞいの樹木の匂いをはこび……。


芦屋の風景を懐かしむ主人公が情感豊かに描かれた小説でした。


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