着た霧の森刹那

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農地を抵当にフ

明治35年、中処の農家で女ばかりの長男として生まれた親父は、甘やかされ、 モボ・モガを気取る若者の一人として百姓を嫌い 山高帽子・ロイド眼鏡・セーラーパンツ・細身のステッキ といったモダンスタイルで、大正デモクラシーという時流に乗って、 伝統的な枠組にとらわれないモダニズムにあこがれる道楽息子だった。
当時横浜に2台しかないという時代、農地を抵当にフォードを買ってのタクシー会社を立ち上げ、宮内省女官の送迎タクシードライバーになって、いい気になっていた。そういう男は仕事に専念するという常識をもたず、余裕が出来ると直ぐ人にお任せ、遊び歩いていたようだ台灣升學。その付けは直ぐに払わされる羽目になり、借金は返せず、農地を抵当にとられても反省する気配はない。爺さん婆さんは息子を結婚させるしかないと判断し、結婚したのは同じ歳の女で、親父は母をよく五黄の虎だと云っていた。
母は気の強い女だったが、戦前のことだ、親父をコントロールできなかった。1937年の日中戦争で徴兵され、北支戦線の補給部隊の輜重兵の運転手となり、最前線ノモハンにむかった。ノモハンヘ行ったら帰って来れないというほどの、死の戦線だった。
親父は実に運の良い男である。輜重隊だから、食う物には困らない。途中時々銃撃戦はあったようだが、敵の姿を見て応戦した內痔症狀ことはなかったと云っていた。ノモハンに着いたときには休戦協定が結ばれていた。
日本軍は出動した58,925人 、 日本軍の死傷者数は、4万4,768名(戦死者1万8,868名、負傷者2万5,900名)に達したという資料もある。日ソそれぞれ自軍の損害を少なく見積もることから正確な数は分からないが、凄まじい戦闘と激戦であったことは確かだ。親父は戦わずに「ノモハン帰り」で帰国し除隊した。戦争に行って太って帰ってきた。戦争も親父を変えることが出来なかった。母の苦労は戦中戦後をかけて5人の子どもを抱えて必死に生き、子どもを育ててくれた。
父の存在は子ども達にとって反面教師となり、「人に迷惑をかけない!」「文句は言わない!」「自分のことは自分でやる針灸!」の三原則は、子ども達の私訓となった。76年間でたった一つ、迷惑をかけたことがあった。子ども達に対して「ゴメンね!」と謝っている。こんな生き方をした男には、商売は鬼門だ。商売は必ず人に 迷惑をかける。だから商売をやろうとは決して思わない。
本当に悪いことをして謝るのは御免である。ゴメンは子ども達に対してだけだ。これだけは私に巣くう鬼も関わってこない。


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